The Longest one-way Ticket ~最長片道切符の旅・2005春~


カテゴリ:旅行記( 14 )



今日、ロマンスカーで箱根へ

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久々の投稿です。

最近,大学の生活が忙しくて更新できずにいました。その忙しさ故に,肉体的にも精神的にも疲れる日々が続いていて,「ここで何か刺激がなければ,やばい!」という風に感じて,小田急の新型ロマンスカー,VSEに乗って箱根に行くことにしたのだ。

前日,ネットでさっそくロマンスカーの指定券を予約。さすがに話題の新型ロマンスカーで,軒並み満席であったが,運良く新宿発13:40の「スーパーはこね27号」の窓側席が取れた。

だが,13時まで何をしようかと悩む。とりあえず,最寄り駅の湘南台から小田急江ノ島線で藤沢に向かった。生憎の曇り空で,少々気分もダークだ。藤沢市内をぶらつき,そのあと,東海道線と山手線の乗り継いで,新宿には13時ごろに着いた。さっそく,小田急のロマンスカーホームに向かう。ホームには13時10分発の「はこね」が入線していた。車両はHiSE,10000形。1988年にデビューしたこの車両は,ハイデッカー構造のため,車椅子の方が利用しにくいという事で,交通バリアフリー法に引っかかり,主役を後身のVSEに譲って引退が決まっている。少々寂しい。乗車率も低かった。けれども,発射間近になると,人が駆け込みで乗って,ほぼ満席の状態でHiSEは出発していった。この風景をあと何度見ることができるだろう。

13時20分,VSEを使用した「はこね14号」が到着する。白いボディが誇らしい。この列車が折り返し,「スーパーはこね27号」になる。しかし,VSEが到着すると一気にホームが賑わう。記念撮影する人の山々…外国人の方も記念撮影をしているのが印象的だった。

13時半になると,車内整備が終わり,車内に入る。目に入るのは,高い天井!かなりの開放感だ。そしてオレンジ色の座席が眩しい。発車時間までしばらくあるので,少々車内を見て廻る。VSEの売りはなんといっても,14年ぶりに帰ってきた展望席だろう。小田急のロマンスカーといえば,この展望席だったが,増加するビジネスユーザーを考慮した結果,20000形と30000形では展望席が姿を消していたので,ファンの間では残念がられていた。だが,VSE50000形では,展望席が復活。ロマンスカーが帰ってきたと皆が喜んだ。

実際,展望席を見てみたが,一度は座ってみたいなと思わせる。やはり,ロマンスカーはこうでないと。発車時間間近になると,なんと運転士からの車内放送が。「運転席から失礼します。この列車はスーパーはこね27号です。運転士は喜多見運転区の○○です…」なかなか粋なサービスだ。

13時40分,新宿を出発。小田原まで止まらない「スーパーはこね」は快適そのものだった。あえて言うと,座席が少し堅かった。もう少し,やわらかくしても良かったと思う。まぁ,それ以外は,本当にいい車両で,箱根湯本まで,快適な時間を過ごすことができた。

15:05,箱根湯本着。短いロマンスカーの旅は終わった。駅の外は大雨。
私は,まっすぐ新宿行の急行に乗り込んだ。
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by sojo_skyline | 2005-05-22 23:04 | 旅行記


第11日目 糸魚川→高崎 信州を行く

目覚ましがなる前に目が覚める。この所、自分でも驚くほどに目覚めがいい。普段もこういう生活をしていれば、もっと健康に過ごせるのだろうけど…。今日は、珍しく進む距離が短い。というのも、恥ずかしながら、私、松本を観光したことがないのだ。だから、一目、松本城を見てみたいと思い、松本で多くの観光の時間を割いた。今日はゆっくりとした旅が出来そうだ。

さて、夜明け前で真っ暗の糸魚川市内を歩き駅へ向かう。新聞配達の人と犬の散歩をする人意外は人影もなく、ゴーストタウンのようだ。しかし、踏み切りの音が聞こえるとやはり、朝は始まっているのだと感じる。6時くらいに駅に着くと、大型のバスが何台か止まっていた。何の騒ぎかなと思っていると、スノーボードやスキー板を担いだ人がそのバスに続々と乗り込んでいく。駅舎に入ると、「シュプール」と行先表示を掲げた列車が止まっていた。ちょうどスキー列車が到着したばかりらしく、スキーヤーはこれからゲレンデへ向かうらしい。朝からご苦労なことである。

そんな賑わいを見せる、糸魚川駅一番線とは違い、大糸線のホームは静かだ。ホームには「糸魚川⇔南小谷」と掲げたキハ52が2両止まっていた。一つは昔の国鉄時代の塗装で、もう一つがJRカラーだった。どうやら始発列車はこのJRカラーの方らしい。ふと横を見ると、1922年に建てられたという煉瓦作りの機関庫が静かに佇んでいた。その機関庫を眺めていると、運転士がキハ52に乗り込み、エンジンに火を灯す。唸りを上げて、キハ52は目を覚まし、ライトを点灯する。運転士は入念に動作のチェックを黙々とこなす。黙ってみていると、
「乗るの?」
と聞かれたので
「はい、乗りますよ」
と答えると
「んじゃ、乗りな」
とドアを開けてくれた。ありがたい。外はかなりの寒さである。

発車時刻が迫ると、次第に乗客が増えてきて、1ボックスに一人の割合になった。朝早いのに、なかなかの乗車率である。6時19分、定刻になると、キハ52は大きく車体を震わせ、糸魚川駅を後にした。北陸本線と別れ、大きく左にカーブし、進路を山へと向ける。しばらく糸魚川市内を走るが、家段々と少なくなり、建物も少なくなってくる。山間部へ突入すると、キハ52のエンジンサウンドもより一層大きくなる。列車は姫川に沿って走る。姫川は、その名だけ聞けば静かな川を想像できる。実際、普段は綺麗な川なのだが、一度増水すると想像も出来ないほどの暴れ川となるのが姫川だ。以前にも、台風で姫川が増水し、大糸線の鉄橋が流されることもあった。ただでさえ、赤字路線というのに、完全復旧を果たし、現在こうして走っているのが奇跡である。それゆえか、大糸線には多くのファンがいる。そういえば、大糸線に沿う千国街道は、塩の道としても有名だ。甲斐武田氏を抑えるために、海のない甲斐と信濃塩止め戦略を行った相模の北条。越後の上杉謙信にも協力を仰ぐが、謙信は「戦とは関係のない領民を苦しめる政策には賛同できかねる」と突っぱねた。このことから「敵に塩を送る」という諺が誕生したのであるが、まさにその諺に縁のあるところを列車は走る。

トンネルに入ったり、鉄橋を渡ったりを繰り返す。山と姫川の織り成す車窓がなんとも美しい。雪で白い山々の稜線に朝日があたり、山頂部分がオレンジ色に輝いている。姫川を渡る鉄橋の左側に小さな姫川温泉街が見え、平岩駅に停車する。列車行き違いのためにしばし停車する。山間の小さな駅。列車に乗っていた人がキハ52の写真を撮りに外へ出る。私も釣られて外に出た。寒いが、空気がおいしい。疲れが吹き飛ぶ。

平岩駅を発車すると、再び列車は姫川に沿って走り、7時24分南小谷着。ハイカーの格好をした人たちは、改札口へと向かい、松本方面へ向かう人は接続する列車に乗り換えた。大体半々だった。大糸線は南小谷を境に、南側をJR東日本が、北側をJR西日本が管轄している。ゆえに、大糸線を全線乗る場合(そんな事をする人は少ないだろうけど…)は、南小谷で必ず乗り換えなければならない。少し不便である気がするが、仕方がない…。そのJR東日本の松本行きの列車は最新の電車であった。先ほどのキハ52に乗っていた身にすると、タイムスリップしたような感じである。車窓も大きく変って、大糸線の南側は白馬に代表されるスキー場が多々とあり、ロッジ風の建物、リフト、スキー場、キャンプ場など多くの建物を見受けられる。

白馬に着くと、多くの人が乗り込んできた。2両編成の電車は通勤電車並みの混雑だ。気温差で窓が白くなる。白馬を出ると、右側には北アルプスを望むのだが、頂上付近は厚い雲で覆われている。すると、青木湖、木崎湖と綺麗な湖の水面に山を被った山が映り込み、なんともいえない美しさがある。ボックスの前に座っていたおばちゃんも思わず
「綺麗ねぇ」
とつぶやいている。
しばらく、そのおばちゃんと観光についての談義をしていると、梓川を渡り、松本市内に入っていく。松本着9時22分。

コインロッカーに重い荷物を置いて、さっそく市内を観光する。まずは国宝松本城へ向かう。市内を歩いていくと「国宝松本城天主」と書かれた石碑があって、すぐに松本城の天守閣があった。大糸線の雲はどこへ行ったのか、青空の広がる中、黒い松本城の天守閣がそびえている。とても綺麗だ。見ると、「U.S.A」と書かれた上着を着た、団体客が大勢いる。アメリカだけじゃなく、ベラルーシと書かれた上着を着た人もいる。何なのだろうと思って、仕切っている日本人の人に聞くと、スペシャルオリンピックの選手団とのこと。あぁなるほど…と思った。開催日が間近ともあって、長野県内を観光しているようだ。皆、松本城をバックに写真を写し合っている。

さて、さっそく天守閣内部に入って見学する。その選手団の人たちに加え、ボランティアか何かわからないけど、高校生の集団やボランティアの人などで、非常に混雑している。しかも、女子高校生とアメリカ選手団が天守閣の上で「USA」コールをしていた。女子高校生とアメリカ人のテンションにはついていけない…

その後、旧開智学校や古い建物が多く残る街を歩き、13時16分発の篠ノ井線、長野行きの電車に乗る。窓から眩しいくらいに日差しが差し込む。篠ノ井線のハイライトは、日本三代車窓に数えられる姨捨駅から見下ろす、善光寺平。ここを逃すまいと思うのだが、日差しのせいもあってか眠気が一気に襲う。うつらうつらしつつも、何とか意識を保とうとする。駅に着くたびに乗ってくる人がいて、車内はそれなりに混雑をしだす。山間の穏やかな車窓が続くが、列車が左に急カーブすると、右窓に、ぱっと善光寺平があらわれた。言葉にでない美しさである。長野市内とそれを囲む山々が一望できる。地元の人は慣れているのか、何の反応を示さない。私だけが夢中にシャッターを切る。車内をウロチョロするので、女子高生とおばちゃんに冷たい視線で見られる。

姨捨駅を過ぎると、列車は勾配を下りながら時計回りに大きく弧を描き、長野市内へと入った。長野着14時35分。当初、長野新幹線のあさま520号で軽井沢に行き、軽井沢の観光をしようかと思ったが、急に善光寺に足を運びたくなったので、予定を変更。市内の循環バスに乗った。善光寺前で下車し、参道を歩く。参道は、古い町並みがそのまま残されていい雰囲気である。外観は維持されていても、内装はガラッとリニューアルされている。こうやって古い町並みを残していくのは、いいのでは?と思う。外国人も珍しがって写真を撮っているのが印象的だった。

善光寺はスペシャルオリンピックの開会式と聖火点灯式の準備に余念が無かった。テレビ局の中継車両も来ており、賑やかだった。

参拝をすませて、今度は駅まで歩く事にした。少々遠いがいい運動になる。長野駅に着くと、ちょうどあさまが出たばかりで、時間が余っていた。仕方が無いので、駅構内をぶらつくと、峠の釜飯を売っていた。早速購入。今日の晩御飯はこれにしよう。

待っている間に信州蕎麦の立ち食いスタンドで蕎麦をすすったり、色々しているとちょうどよい時間になり、あさま号に乗車。トンネルの多くてつまらない路線に揺られ、高崎に到着した。
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by sojo_skyline | 2005-02-25 23:27 | 旅行記


第10日目 柏崎→糸魚川 被災地を行く…

昨夜、メッセンジャーで先輩と会話をしていると、注意を促された。
「被災地行っても、気軽に写真撮っちゃダメだよ。」
全くもってその通りである。なぜこういう会話をしていたのかというと、今日は新潟中越地震で大きな被害を受けた小千谷付近を通るからだ。ちょうど、小千谷付近の越後川口で飯山線の列車を2時間程待つ。その間に、被災地の状況を見ようと思っていたので、先輩から苦言を呈された。今日は神妙な面持ちで、旅をしないといけないと思う。

柏崎発8時38分の信越線の列車に乗車する。小雪交じりのあいにくの天気である。しかし、昨日のようには酷くない。車窓には相変わらずの雪原が広がる。9時18分、宮内着。

宮内駅は上越線と信越本線のジャンクション駅だが、意外に小さい駅だ。これまで通ってきたルートで、路線と路線が交わる駅、乗換駅に限って、意外に小さい駅が多い。しかし、構内をひっきりなしに貨物列車が行き来しているのを見ると、宮内駅も重要な拠点であるということをうかがえる。改札を出て、街を散策しようとしていると、上越線方面から、除雪車がやってきた。DE15という形式で、前後に除雪用の巨大なスノープラウをつけているのが特徴だ。最近の路線の除雪は、小型の除雪車を用いているのだが、それで対処できない時に、このDE15に代表される除雪車が活躍する。こういう列車のことを『特雪』と呼んで、追っかけファンは全国にも数多くいる。早速写真を撮って、その特雪好きな先輩にメールを送る。その先輩は、ちょうど廃止間近の名古屋鉄道岐阜市内線の撮影をしてらっしゃるところであった。

さて、そのDE15は再び上越線方面に出発していった。まだ、上越線の列車までは時間があるので、街をブラブラ歩く。いつの間にか、雪は止み空には太陽を拝む事が出来る。街を歩いていると、一軒の古い旅館が解体されていた。地震で被害にあったのだろうか。なんだか虚しさというか寂しさを感じつつ、解体作業をしばし見つめた。

宮内発10時11分。新潟中越地震で、被害にあった上越線はまだ時刻表どおりの運転をしていない。トンネルで落盤があり、複線区間を単線で運行しているためだ。車内に入ると、地元のおじさんもその話で盛り上がっている。その落盤のあるトンネルに近づくと列車はスピードを落とす。外を見ると、除雪作業をしつつ、復旧作業に勤しむ保線の人たちが多く働いていた。列車は徐行のまま、トンネルに入る。そのトンネルを抜けてしばらく行くと、壁が落ちた家やブルーシートを被った家などが見え、小千谷に到着した。列車に乗っていたほとんどの人が下車し、私の乗っている車両には、私だけしかいない。10時59分、越後川口着。駅に着くと、先ほど宮内駅に来ていたDE15がいて、少々ビックリした。どうやら、交換待ちをしていたようで、すぐに宮内方面へ走り去った。なかなか忙しい。

次の飯山線の列車は13時9分まで無く、2時間近くも待たなければならない。ゆえに、街を歩く事にした。
道路わきの雪はかなりの高さで、私の身長を超えている。豪雪地帯である証拠だ。駅前の道路を真っ直ぐ進むと、震災の被害にあったのか、壁が剥がれ落ちた木造の建物があったり、復旧作業の途中の建物があったりする。そのまま真っ直ぐ進むと役場があった。エントランスにダメージがあるのか補強がされている。役場を見つつ、さらに真っ直ぐ行くと国道に出た。国道沿いに歩いて、一本の路地に入る。車がひっきりなしに往来する国道沿いの喧騒とは裏腹に、路地は静かだ。ふと建物を見ると、建物の安全性を示した張り紙が貼ってあって、「要注意」や「危険」といったものが、あらゆる建物に貼られている。メディアからの情報だけでは知る事ができない、被災地の被害。なんともいえない気分になった。被災地の一刻でも早い復興を祈っている。

越後川口発13時09分の戸狩野沢温泉行の列車は、発車時刻間近になってやってきた。1分少々での折り返しで、乗務員の動きも慌しい。子供連れと数人の乗客を乗せて出発する。駅を出発すると右に大きくカーブし、魚野川を鉄橋で渡る。河岸では除雪作業の車が行き来している。今年は雪が多いから大変そうだ。飯山線沿線は豪雪地帯として有名で、昭和20年に7mもの積雪があったこともある。この記録は未だに破られていない。

列車は少しの山間部を進むと、日本一の長さの信濃川に沿う。ここから、飯山線の終着、豊野まで、列車は信濃川に沿って走る。日本一の大河ゆえに、その流れも雄大だ。雪とのコンストラクトがなんともいえない。戸狩野沢温泉着、15時6分。直ぐに長野行に接続して、出発。再び信濃川に沿って列車は進む。ゆっくり流れる信濃川を見ていると、人間の存在なんて小さなものなのだなんて思ったりもする。自然の前に、一人の人間など小さな存在。そして、その人間の持つ悩みなんてさらに小さなもの、大河の一滴に過ぎないのだと。そんな事を思いながら、豊野までの時間を過ごした。豊野着15時56分。

お昼を食べていないので、キオスクでパンを買って腹ごしらえ。豊野駅も小さな駅だが、待合室には石油ストーブがあって、温かい。そのストーブの前に、若い女性が座り込んで、携帯電話で寒い寒いと話をしていた。待合室は暑いくらいなのだが…

豊野発16時20分。信越本線直江津行。すでに、辺りは薄暗くなり始める。直江津着17時55分。今度は北陸本線の列車に乗り込む。この列車は、583系という寝台電車を改造した普通列車で、今もなお、収納されたベッドがそのまま残されている。ロックされて、寝台は引き出せないようになっているが、昔は特急形車両ともあって乗り心地はよい。ただ、古さは否めず、ガタがきている所も多々とある。

夜の北陸路を走って、18時31分、宿泊地の糸魚川に到着した。暗い空から雨が降りしきっていた…
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by sojo_skyline | 2005-02-24 23:23 | 旅行記


第9日目 会津若松→柏崎 自然の猛威

ドテッ!そんな音がしたと思うと、腰に激痛がやってきた。アイスバーンとなった歩道で、足を滑らせて転倒したのだ。今まで北国を旅してきて、一回も転倒しなかったのだが、今回は思いっきり転倒した。雪が降りしきり、しかも気温が低いという事で、歩道は何メートルに及びアイスバーンとなっていて、まともに歩くことはできない。気をつけてはいたのだが、昨夜はあまり寝られず、寝不足が足元を狂わせた。ともかく、痛みで眠気が吹っ飛んでしまった。しかしながら、相変わらずのアイスバーン歩道が続き、油断も隙もあったものではない…冷や汗が頬を伝わる。途中の苗木に雪が氷着して、樹氷のようになっている。

危険な歩きの果て、ようやく会津若松駅に到着した。安心したのか、トイレに行きたくなる。朝のお通じをすませて、さっそく改札を抜ける。ホームに行くと、すでに新潟行きのディーゼルカーがエンジン音を響かせて止まっていた。しかし扉が開いていないので、寒いホームでコーヒーを買っていると、車掌が私に気づき、ドアを開けてくれた。ありがたい。車内は暖房が効いて、外は別世界である。発車時間が迫ると、続々と乗客が乗ってきた。朝早いが高い乗車率で、高校生もかなり乗っている。まだ7時前というのに、なかなか長い通学だ。

会津若松発6時55分。エンジンを唸らせて、2両編成の列車は会津若松を後にした。山の稜線に朝日が見えるが、今日は雲が空を覆っている。そして、地上は見渡す限り雪で真っ白である。地面はもちろんの事、山や木も真っ白。特に木々は、枝まで真っ白に雪で覆われており、さながら樹氷という感じである。実際に凍っているのかもしれない。なんだか、別世界に来てしまったかのような印象を受ける。北海道とは雪の質が違うのか、北海道の雪の風景とはまた違う、重厚感のある白い世界が広がる。雪は降っていないが、かなりの冷え込みで、窓に手を当てるとかなり冷たい。駅に着いて扉が開くと、冷たい風が一気に車内に入り込む。それを防止するため、ドアは手で開けるようになっているのだけれど、通学の高校生が駅ごとに乗り込んでくるので、効果はあまり無いようだ。

ラーメンの街、喜多方に7時20分に到着。ほとんどの高校生が下車し、車内にはほとんど人がいなくなった。ここで車内放送が入る。どうやら、大雪のために、山都駅からは徐行運転を行うということで、新津には30分遅れるとの事。昨日、会津若松駅の駅員が言っていたことが現実となりそうだ。とりあえずは、新津まで行くらしいので、そこだけが安心だ。

喜多方を出発すると会津盆地も終わり、一気に山越えになる。山の雪は一層凄みを増し、木の枝は、雪の重みで今にも折れそうだ。外の気温も一層寒くなり、車内との温度差で窓は直ぐに真っ白になる。景色を見たい私は、ハンカチでそれをふき取るのだが、直ぐにまた白くなる。山都到着7時33分。ここで、再び車内放送は入る。どうやら上りの列車が遅れているらしく、その到着を待って発車するので、しばらく停車するとの事。新津へは40分ほど遅れるらしい。次第に雪の影響が出てきているようだ。外に出てみたが、頬を切り裂くように風が冷たい。気温も低い。かなり厚着をしているのだが、それでも寒いと感じる。早々に車内に逃げ込む。雪も降り出し、これから先の行程が思いやられる。

7時56分。ようやく上りの列車が到着し、出発。すでに20分遅れているが、この先は日出谷駅まで徐行運転をするので、遅れはさらに増すようだ。新津での乗り換え時間を多めに取っておいて正解のようだ。再び列車は、山間部を進み、左側から阿賀野川が寄り添ってくる。白い木々に阿賀野川の静かな流れ。自然の雄大さの前に一人の人間など小さなものなのだと、思い知らされる、いやむしろ自然が教えてくれているのかもしれない。そんな印象を受ける。列車は、20キロくらいでゆっくりと進む。普段なら、もっとスピードを出して進む区間だろうけれど、その徐行のおかげでゆっくりと風景を楽しむ事が出来る。地元の人やJRの人は、それどころではないのだろうけれど、旅人にとっては嬉しい。

野沢駅に30分ほど遅れて到着するが、再び上り列車と交換するために、足止めを食らう。ホームにもかなりの雪が積もっていて、この後の列車の時刻も大幅に乱れそうだ。その証拠に、待てど待てど、上り列車が到着しない。すでに、1時間近い遅れである。途中で脱線していないか不安だ…。本来、鉄道というのは雪に強い乗り物である。特にディーゼルカーは、架線もいらないので一層雪に強い。ゆえに、国道が通行止めになっても鉄道は平常通りに運転しているのをよく雪国で見かけるのだけれど、さすがにこの雪ではそうはいかないらしい。

9時近くなって、ようやく上り列車が野沢駅に姿を現した。野沢駅を脱出する。しかし、徐行運転は続く。雪はいっそう強く降り、すでに日は昇っているのだが辺りは薄暗い。積もっている雪もその高さを増してきて、雪崩でも起きれば、列車はすぐに脱線、転覆しそうだ。少々不安がよぎる。その不安を知ってか知らずか、相変わらず阿賀野川は我知れずと流れている。

しかし、その不安も杞憂に終わり、無事に日出谷駅に着くと、列車はスピードを上げて山間部を抜け、越後平野へと列車は下る。車窓は相変わらず白一色だが、エンジン音が静かになった事が安心感をもたらす。途中五泉という駅に着く。この駅は思い出深い駅で、父と一緒に蒲原鉄道という私鉄に乗りに来た。蒲原鉄道は、昔は五泉から信越本線の加茂駅までを結んでいたのだが、山間部を通るために人があまり利用せず、加茂-村松間が廃止され、五泉―村松間のわずか2キロしか残っていないというミニ私鉄であった。五泉駅を降りると、小さいホームに葡萄色と黄色に塗られた古い一両だけの電車がぽつんと止まっていて、哀愁を漂わしていていい感じだった。車内もニスの匂いがする木張りの床で、タイムスリップしたかのような感を受けた。しかし、その蒲原鉄道は廃止されてしまい、五泉駅の小さなホームも跡形も無く壊されていた。なんだか寂しい。列車は越後平野をかなりのスピードで走り、新津には90分遅れで到着した。

今度乗る信越本線の長岡行きは11時29分発で、到着したのは11時前。ギリギリで間に合った。越後平野に下りて、雪は降っていないのだが、強烈な風がホームを駆け抜けている。かなりの風速だ。嫌な予感がする…

11時29分の列車をホームで待つ。しかし、29分になっても列車はやってこない。どうしたのかと思っていると、やはり風の影響で遅れているらしい。今日は雪に風にと、自然との戦いだ。5分ほど遅れて、列車が到着。再び、白い世界の中を列車は走る。が、やはりダイヤは乱れて徐行したり、飛ばしたりと慌しい。長岡には30分遅れて、12時54分に到着。次に乗る上越新幹線、MAXとき315号の乗り換え時間は10分しかなく、急いで新幹線乗り換え口に向かう。新幹線自由席特急券を購入して、改札を抜けて、ホームに上がる。自由席の号車にたどり着くといい具合に列車が入ってきた。やれやれである。どうやら、上越新幹線は通常通り運転しているようだ。MAXときはE1系という車両で、12両編成のすべてが2階建て車両という豪華な列車だ。乗ったからにはと、早速2階席へと足を運ぶ。普通の車両とほんの数十センチの違いだが、やはり優越感に浸れるのはいい。実際外の眺めもよく見える。MAXときは越後平野を快走し、食器の街、燕三条を過ぎ、新潟に到着した。

さて、新潟駅に着くとやっかいなことになっていた。というのも、これから乗る越後線がどうやら強風の影響で運転を見合わせているらしい。改札口の掲示板にもその旨がひっきりなしに流れている。すでに柏崎のホテルを予約しているので、何とか柏崎までたどり着きたい。改札口の前で情報を収集する。駅員にも聞いたが、その返事はいいものではない。運転をしている信越線で向かおうかとも思うが、翌日以降の行程がすべて変るという事態になってしまったので、却下する。すると、電光掲示板が変り、どうやら途中の吉田駅までなら徐行しつつも行くとの事になった。吉田駅は、弥彦線も分岐しており、いざとなったら信越本線にも抜けられるので、とりあえず、14時20分発の吉田行きに乗りことにした。

14時20分新潟発。なかなかの乗車率である。信越本線と分かれると、列車は右にカーブし、新潟市街地を周って、信濃川の鉄橋を渡る…のだが、鉄橋の手前でなぜか停止した。車内放送が入り、強風のために徐行して鉄橋を渡るとの事。鉄橋には防風のフェンスがない。不安げに列車はそろりそろりと列車は進む。時々風に煽られてゆれる。スリル満点だ。なんとか無事に渡りきり、白山駅に3分遅れで到着。この先もこのような感じで進むらしい。しかも、越後線も単線なので交換列車が遅れると直ぐにこちらにも影響が出る。案の定、交換待ちで段々と遅れが広がってきた…。しかも、天気は雨と雪が同時に降ってきて、不気味だ。どっちか一つにしてほしい。

吉田には1時間ほど遅れて到着した。どうやら運転を見合わせていた区間も回復したらしく、無事に柏崎にいけそうだ。さっそく柏崎行きに乗り込む。遅れを回復すべく、列車はかなりの速度で走る。もともと線形がよくないので、かなりの揺れだ。連結器もギシギシと変な音が鳴っている。17時半、1時間ほど遅れて柏崎に無事に到着した。やれやれといった感じだが、遅れた分車窓も楽しめ、それなりに楽しむことができたし、なんだか得した気分になった。

ホテルに荷物を置いて、駅前にあるコーヒースタンド「駅前」という店に入った。このお店の主人は鉄道好きで店内には所狭しと鉄道のグッズが飾ってある。なんと、お店の椅子は昔の客車の物という懲りようだ。さっそくコーヒーをご馳走になって、旅の疲れを癒した。
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by sojo_skyline | 2005-02-23 23:22 | 旅行記


第8日目 一ノ関→会津若松 季節の変わり目を行く

今日は、非常にハードスケジュールとなっている。なんと、一ノ関から会津若松まで一気に行ってしまうという計画だ。本来ならば、もっとゆっくりとした旅をしたいのだけれど、学生の身分であるので、なんとか春休み中に終らせなければならない。その中でゆっくりとした旅を、と思っているので、その微妙な調整が難しい。とにかく、今日は会津若松までいく。実に移動時間20時間。長い一日の始まりだ。

駅に着くと、昨日切符を保管していてくれた駅員が改札に立っていた。お礼を述べると、
「まだ列車きてないけど、ホームに入る?」
とたずねてきた。だが、外は寒気のために非常に寒い。ご好意はありがたいのだが、待合室のストーブの前で待機する。一ノ関を通過する上りの貨物列車はいずれも、雪を車体にこびり付かせている。北は大雪なのだろう。寝台特急の北斗星も4分遅れているとの事。先行きが不安である。

一ノ関発6時2分。大船渡線の気仙沼行きに乗車する。大船渡線は、「ドラゴンレール」と名前が付いている。というのも、大正時代、大船渡線の建設の際に、地元の有力議員が自分の勢力のある地域へと線路を無理やり引くよう命じた。それが、立ち代り変ったので、線路が蛇のように蛇行しながら完成した。ゆえに、「ドラゴンレール」という愛称がついたのである。列車は、体を震わせて出発。ディーゼルカーならではの出発である。車窓を楽しもうと思うのだが、時間も時間だけに真っ暗で、しかも粉雪が舞っている。今日は天気が悪いようだ。駅に着く度に高校生が乗ってきて、車内は賑やかになる。徐々に夜が明けてくるが、やはり厚い雲に覆われていて辺りは薄暗い。千厩でほとんどの高校生が下車していく。すると、天気が次第に回復しだした。しかし、雪は降っていて、おかしな天気である。7時27分、気仙沼着。列車はこの先盛駅まで向かうので、ここで途中下車する。社外に出ると体の芯から冷えるような寒さで、雪もパラパラ降っているのだが、青空が広がっている。不気味である。

次の気仙沼線の列車は快速南三陸2号、仙台行きである。この列車は指定席車も連結されており、駅の「みどりの窓口」では、仙台までの往復切符を買う人で行列ができる。快速南三陸2号が入線。最新のディーゼルカーかと思っていたのだが、旧型の急行型ディーゼルカーが4両編成でやってきた。4両のうち、3両はリクライニングシートに改造されていたが、1号車だけは時代が遡ったかのように、無改造のままであった。私はオールドファンで、こうした古い車両が好きなので、さっそく乗車する。気仙沼発8時13分。大きなエンジン音と共に、ゆっくりと発車した。ほとんどの乗客は後ろのリクライニングシートの車両に乗車したため、車内は静かだ。しかし、仙台へ向かう優等列車のため停車駅ごとに、かなりの乗客が乗ってきて、なかなか賑やかである。しかし、さすがに最新型の列車と違い、窓からは隙間風が入ってきて少々寒い。また、トイレも故障していて、3号車のトイレしか使えないようだ。少々寂しいが、古い車両というのは、こういうものだ。

列車は左窓に太平洋を望みながら進む。しかし、リアス式海岸のためか、トンネルが多い。港が見え、集落があって、駅があり、そしてトンネルに入る。これがしばらく繰り返す。気仙沼線の開通は比較的新しく、陸の孤島と言われていた同地域の人々にとっては大歓迎ムードだったらしい。一方で、当時の国鉄は巨額の赤字に苦しんでいて、気仙沼線の開通はその赤字を増やすと、冷ややかな目でみていたようだ。けれど、この快速「南三陸」を見る限りは、気仙沼線も健闘していると思う。数字を見ると、また違うのだろうけど。

志津川を過ぎると、大きく右にカーブし、太平洋と分かれ内陸に入り、車窓はのどかな田園地帯が広がる。朝霧が出ていて、非常に綺麗だ。9時27分前谷地着。

石巻線、石巻行きの列車はすでに入線していた。外は寒いので、列車の中で待つ。再び旧型のディーゼルカーだが、暖房がよく効いていて、暖かい。眠気が襲ってくる。はっと気づくと、列車はすでに石巻に着いていた。高校生が変な顔で私を見ている。車内を見ると誰もおらず、慌てて外に出る。仙石線列車は3分の接続なので、ホームを走る。仙石線の列車に乗った瞬間、ドアが閉まった。ぜいぜい言いながら、座席に着く。仙石線の車両は、山手線で活躍していたものだが、大幅に改造されていて、ボックスシートになっている。こっちの方が、景色が見やすくていい。しばらく、石巻市内の小さな駅に止まっていく。東名あたりで、やっと太平洋と再開する。すでに、日本三景の松島湾で、小さな島々が見え、静かでいい雰囲気である。松島海岸駅で途中下車して、観光でもしようかと思ったのだが、駅に着いた途端、その気は失せた。駅前には土産屋が立ち並び、港には大駐車場があって、松尾芭蕉が詠った景観が壊されていた。もう少し、考えるべきだと思うのだが
どうだろう・・・。その松島海岸駅から多くの乗客が乗って、立ち客も出た。松島海岸を出ると、東北本線と併走したり離れたりを繰り返し、再び、線路と分かれるという面白い車窓が展開する。その後、再び仙台のベッドタウンを走り、高校生も乗り込んできて、大都市仙台の装いが出てくると、仙台駅地下ホームに到着した。

仙台駅からは、福島までは東北新幹線を使う。新幹線はあまり使いたくないのだけれど、ルートでそうなっているので、仕方がない。その新幹線を待つ間に、仙台駅の名物駅弁の牛タン弁当を探す。しかし、キオスクでは見当たらない。あちらこちらの、店を探すが見当たらない。発車時間が迫ってきたので少々焦る。すると、ようやく売り子さんを見つけて「牛タン弁当を」というと、「違う店で売っています」との事。さっそくその案内されたところへダッシュし、ようやく牛タン弁当をゲットできた。新幹線ホームに上がり、やまびこ160号に乗車する。かなりの人が乗るようで、16両編成だ。仙台発12時29分。列車は、右にカーブして、仙台の街を見下ろしながら進む。さすが杜の都とあって、緑が多い。仙台は恥ずかしながら、まだ一度も歩いた事がない。次回はぜひ、ゆっくり歩いてみたいと思う。

列車は、仙台の街を抜けて、長いトンネルに入ると右手に雪を被った蔵王の山々の稜線が見える。しかし、トンネルに入っては抜けるというのを繰り返すので、じっくり見る事が出来ないまま、白石蔵王駅を通過し、蔵王の山々は後ろの方へ過ぎ去ってしまった。もう少しゆっくり走って欲しい。無理な話だが…

福島着12時53分。たった30分のために、高い新幹線特急券を払わされるのはいい気分ではないが、仕方がない。今度は、東北本線を仙台方面へ戻る。たいていの場合、新幹線は、東北本線と同じ路線という扱いで、正式には「○○新幹線」という路線はない。例えば、東海道新幹線は、正式には東海道本線だし、山陽、上越、秋田、山形もそうである。しかし、先ほど通過した白石蔵王のように、東北本線との接点がない駅を挟む区間、今回は仙台-白石蔵王-福島間は、「東北新幹線」という扱いになるのだ。非常にややこしいが、この規則が最長片道切符のルート設定には重要なキーポイントとなる。

福島発13時00分の快速仙台シティラビット号に乗車。車内は混んでいるので、デッキに立つ事にする。しかし駅に止まるたびに、乗客もほとんど降りて、車内は静かになる。車内のボックスシートに移って、車窓を楽しむ。左手には、さきほどあっという間に通りすぎた、阿武隈の山々が雪を被って連なっており、綺麗な稜線が見える。速度が遅い分、ゆっくり車窓を見る事が出来る。東北新幹線が開通して以来、多くの特急が行き交っていた東北本線は寂れてしまい、駅に止まっても乗ってくる乗客は少ない。岩沼着13時55分。常磐線との接続駅の岩沼で途中下車。さすがに、貨物列車が頻繁に行き交っている。

14時7分発の常磐線の列車は、混んでいた。さすがに仙台近郊だけに乗客が多い。東北本線と別れ、列車は田園地帯を進む。先ほど乗ってきた東北本線とあまり変らない風景が広がる。ふと空を見上げると、先ほどまで曇っていた空が段々と晴れてきた。今までとは異なり、日差しは春の装いだ。原ノ町で、特急スーパーひたちに乗り換え、いわきを目指す。原ノ町を出ると、太平洋に近いところを走る。海は真っ青で、空も青い。もう春はそこまで、来ているのだなと感じる。

いわき着16時14分。次の磐越東線まで時間があるので、街を散策する。いわき駅には、常磐線の特急を牽いた機関車の基地である平機関区があった。その遺構がないかと、駅舎の裏に回ったが機関区の跡は駐車場に変っていた。少々寂しい。駅の蕎麦スタンドで遅めの昼食をとり、磐越東線の小野新町行きのディーゼルカーに乗る。帰宅する高校生で、なかなかの盛況だ。すでに陽は暮れかけていて、黄昏の中、列車は発車した。
一駅に止まるごとに、徐々に高校生が降りていく。段々と陽が暮れていくと同時に、列車は山の中へ入っていく。やがて常陸大子を過ぎると、辺りは真っ暗になってほとんど車窓は見る事が出来なくなった。家々の光が点々とあって、それが増えると駅に停車。高校生が降りて、家族のお迎えの車にそれぞれ乗り込む。なんだか、温かい光景だ。

18時22分、小野新町着。ここで、郡山行きに乗り換える。山間部なので、気温は低い。反射的に自動販売機のコーヒーに手が伸びる。

18時45分発、郡山行きのディーゼルカーに乗車。ほとんど客は乗っていないが、列車は淡々と進む。つなぎ目を通る音がなんだか、メロディーに聞こえてくる。

進行方向の先に、街の光が見えてくると郡山の街に入り、19時36分、郡山着。今日、最後の列車は、磐越西線の会津若松行きだ。当初では、郡山で宿泊したいのだけれど、磐越西線の大雪の影響が気になったので、会津若松まで進む事にした。少々強行軍だけれど、自然には勝てない。

19時40分発の磐越西線、会津若松行きの快速列車は、ほとんど満席であった。デッキに立つ。郡山を少し出ると、段々と雪が強く振り出し、気温も下がる。列車が巻き上げた雪が、窓について凍り、外は全く見えない。暖房のないデッキは寒くて仕方がない。並行する道路のライトが見える。どうやら、かなりの雪が積もっているようだ。その雪の量が段々と増していき、街の光が見えると会津若松に着いた。20時41分。

改札を出ようとすると、駅員に呼び止められた。
「君、この先は、磐越西線を新津方面に行くのかい?」
「ええ、そうですね。明日、乗る予定です。」
「気をつけたほうがいいよ。」
「と、言いますと?」
「いやぁ…今日は雪がものすごく積もって、ほとんどの列車が新津まで行かなかったんだよ。多分、明日は大丈夫だと思うけど、一応そのつもりで。」
「あ、ありがとう…ございます…」

駅員さんは、大丈夫といったが雪は降り続けている。
不安を抱きつつ、今日の宿へ向かった。
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by sojo_skyline | 2005-02-22 23:59 | 旅行記


第7日目 米沢→一ノ関

起きると、冷や汗で全身がぬれていた。というのも、車に轢かれるという夢を見たからだ。非常に目覚めが悪い。でも、カーテンを開けると気持ちいいほどの冬晴れである。悪夢のことなど吹っ飛んでしまう。

さて、宿を出て駅まで歩く。青空が広がっているものの、風は非常に冷たい。米沢は盆地なので、どうやら放射冷却状態にあるようだ。昨晩は結構雪が降ったらしく、かなりの雪が積もっていた。自然と歩く速度も速くなる。米沢駅に着いて、まず駅弁を探す。昨日、米沢牛の駅弁を食べようかと思っていたのだが、ちょうど閉店の時間で運悪く買えなかった。今日こそは、と思ったのだけれど、あいにく売り子さんはいなかった。残念だけれど、すでに列車の発車時刻も迫っているので、仕方がないが改札を抜ける。プラットホームに立つが、風が冷たい!せめてもの抵抗に、缶コーヒーを飲む。

米沢発7時14分。山形行きの普通列車は、通勤・通学の客で混んでいた。けれど、2駅先の高畠駅で降りることになっているので、立つ事にした。列車は雪を巻き上げながら疾走する。高畠着7時24分。さっそく改札を抜けると、左手には「ゆ」の文字が見える。この高畠駅は、駅舎の中には温泉が沸いていて、山形新幹線も止まる、温泉のある駅として有名になった。さっそく、入浴料300円を払って朝風呂へ浸かる。脱衣所に行くと、地元の人たちが結構利用していて、賑やかである。さっさと服を脱いで、湯船へ。思わず「気持ちいい!」と声がでる。溜まっていた疲れも吹っ飛んでしまった。もう少しゆっくりしていたいのだが、あいにく次の列車の発車時刻が迫ってきたので、温泉を後にした。しかし、体が軽くなった感じで、非常に気持ちがよい。

高畠発8時15分。山形行きの普通列車はスーツ姿の人や、学生で混んでいた。日本の都市の朝はどこへ行っても変らない。外も見られないので、ボーっと乗っていると、先ほどまで晴れていた天気が悪化してきた。山形で観光でもしようと思ったのだが、残念である。山形着9時59分。列車からはいっせいに学生と、サラリーマンが階段へと走る。なかなかせわしい。改札をくぐって、ファーストフード店で朝食をとる。雪は強さを増してきて、風も非常に冷たい。

仕方が無いので、新庄行きの列車を待つ。山形発9時59分。ラッシュの時間も去ったので車内は静かだ。ふと見ると、先ほどの雪が嘘のように青空が出てきた。今日は運が悪いらしい。列車はさくらんぼの畑の中を進む。山形県はさくらんぼが名産である。その畑の向こうに雪を被った山々が連なっていて、なんとも言えず美しい。途中、さくらんぼ東根駅で、山形新幹線「つばさ」に追い越される。新庄まで山形新幹線が開通して、山形-新庄間もかなり様変わりして、新しい駅舎が多く建てられている。さくらんぼ東根もその一つである。その後も、果物畑の中を列車は進み、新庄着11時12分。新庄駅は山形新幹線の終着駅として大幅に改良されて、全部のプラットホームへ段差なしに行けるようにしている。車椅子の人にも移動しやすいという考慮されていて、なかなか素晴らしい。改札をでると、「新庄山車祭り」の山車が迎えてくれた。駅舎の中には、新庄の自然を学べる資料館もあって、なかなか楽しい。荷物をロッカーに預けて、さっそく駅前を歩く。すると、「急行食堂」の文字が見えた。この食堂は、テレビ東京系のTVチャンピオン「新幹線王選手権」で登場し、山形新幹線開通記念の「つばさっ子ラーメン」が話題となった。ちょうどお昼時なので、暖簾をくぐる。見知らぬ客に驚いたのか、おばちゃんは「うっ」という声を出したが、直ぐに「いらっしゃい」と威勢のいい声が返ってきた。さっそく、つばさっ子ラーメンを注文する。少し時間がかかって、つばさっ子ラーメンが姿を現した。丼のでかいこと!そして、熱い!火傷しそうだ。しばし、ラーメンとの格闘が続く。ようやく食べ終わると、店に入ってから40分近く立っていた。新庄の街を観光する時間はなくなってしまった。しかし、時間がかかっただけの事はあって、なかなかおいしかった。このラーメンを食べるだけに新庄に来るのもいいかもしれない。そんな事を思いながら、新庄駅に戻る。こんどの陸羽東線は12時55分の鳴子温泉行きで、列車はすでに入線していた。再び天候は悪化し始め、雪がちらつき始めた。天気が変りやすい。

列車は定刻に出発。この陸羽東線と陸羽西線は、松尾芭蕉が歩いた「奥の細道」に沿って走っており、陸羽西線は「奥の細道・最上川ライン」、陸羽東線は「奥の細道・湯けむりライン」という愛称が付いている。最長片道切符のルートはこの「湯けむりライン」の方を通る事になっている。

奥羽本線と別れ、列車は山へ向かって進む。山が深くなるにつれ、雪も多くなるが、それほどでもないようだ。左側に最上川の支流を眺めつつ、列車は進む。電車とは違って、ディーゼルカーはエンジン音が車内にも聞こえてきて、一緒に山を登っている感じがして好きだ。個人的な趣味ではあるが。温泉地を転々とゆっくりと列車は進み、13時57分、鳴子温泉駅に到着。次の小牛田行きは1時間半後なので、滝の湯という鳴子温泉の共同浴場へと向かう。駅舎を出た途端、硫黄のにおいがして、温泉街という雰囲気をいい感じにかもし出している。温泉街を歩いていくと、奥まったところに、滝の湯はあった。そのおくには、温泉神社がある。せっかくなので、温泉に入る前に参拝しようと石段を少し登ると、境内までの道は雪で閉ざされていて進めそうにない。無理矢理に進もうとしたが、滑って転倒してしまった。幸い大事には至らなかったが、これは危険だ。仕方が無いので、石段のところで、手を合わせる。さて、さっそく温泉。滝の湯は、格式ある共同浴場ではあるが、中に入ると古き良き銭湯という感じがして、なかなか好きだ。どうやら、泉質は硫黄分が高いらしく、その匂いがすごい。しかし、お湯に浸かると体の芯から温まる感じで、気持ちがいい。思わず「いい湯だな~」と口ずさむ。のんびりと浸かって、さて湯船を出ると、地元のおじさんと入れ違いになる。私が服を着ていると、そのおじさんの歌う民謡が聞こえてきて、なんだかいいムードだ。機会があれば、ぜひもう一度訪れたいと思う。

鳴子温泉発、小牛田行きのディーゼルカーに乗る。再び、山間をディーゼルカーは進み、分水嶺のトンネルを潜ると、今度は段々と山を下っていく。天気は回復しだして、青空が見えてきた。西日がいい感じである。とちゅう、古川駅に着く。東北新幹線との分岐駅だ。鳴子温泉から乗ってきたサラリーマン達もここで下車。どうやら、東京へ帰るようだ。多くの高校生が乗ったディーゼルカーは終点の小牛田を目指す。小牛田着16時32分。小牛田は、東北新幹線が出来る前までは機関区もあって賑やかな駅であったのだが、新幹線は古川を通り、小牛田はすっかり寂れてしまっている。乗り合わせた高校生たちは、小牛田で降りるかと思ったら、東北本線、石巻線など各方面の列車へと乗り換えていった。長距離の通学、ご苦労様。

小牛田発16時50分、一ノ関行き。その高校生達も何人か乗り込むが、一駅ごとに降りていき、車内は静けさを取り戻す。すでに、黄昏時。今日も長い一日が終る。

一ノ関着17時38分。さて、ホテルについて、ゆっくりしようと思った矢先。なんと最長片道切符がない!カバンや荷物を探し回ったがない。部屋にもない。顔面が蒼白となる。急いで、部屋を飛び出し、ホテルのロビーも探したがない。どこだ!駅への道もくまなく探す。おばさんが不審者を見るような目で、私をにらむが、それどころではない。ついに駅までやってきた。ふと思い出す・・・

「あ・・・」

私は、今回の旅で駅に備え付けてあるスタンプを集める事にしている。下車印とは違うまた別の思い出になると思ったからで、大体下車した駅にあれば、スタンプ帳に押している。一ノ関でも、当然押した。その時、最長片道切符の入ったファイルを下敷きに・・・

さっそく駅員さんに聞くと、「あぁ。あれね。」と大事に保管してくれていた。

一騒動あったが、温泉に浸かることもできた、いい一日であった。
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by sojo_skyline | 2005-02-21 20:04 | 旅行記


第6日目 北上→米沢 日本海へ!

第6日目 北上→米沢

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起きた瞬間、目を疑った。6時過ぎの北上線に乗って、ほっとゆだ駅にある駅内温泉で朝湯に浸かるつもりが、すでに6時半をまわっていた。すでに列車は、北上をとっくに出発している。少々残念だけれど、その分よく寝むれたのでよしとする。

北上線の改札時間となり、駅員に切符を見せる。すると、切符を見せろという感じで切符を受け取ると、ルートを凝視して、納得言ったのか、ようやく返してくれた。当然といえば当然の行為なんだけれども、少し緊張した。自分でも切符の経由の中にきちんと「北上-北上線-横手」と書かれているのを確認して、ホームへと向かう。北上線は0番線から発車だ。0番線…なんとはなく旅情を誘う番号だ。列車の発車するホームの番号は、母屋から1、2、3と付けるのがほとんどであるのだが、その1番線の端を削って作られるのが0番線で、ローカル線が発着するホームによく用いられる。

車体を揺らせて発車すると、東北本線と別れ、真っ直ぐに奥羽山脈に向かう進路をとる。辺りはまだ薄暗いのだが、雪のおかげで青白く見える。雪国ならではの車窓である。しばらく北上盆地を進むが、段々と山が多く見え始める。前方を見ると、黒くて厚い雲が山脈の上にかかっていて、天気が悪そうだ。少々不安だが、列車は淡々と走る。やがて、平野が尽きると勾配もきつくなり、山越えとなる。だが、最新鋭のディーゼルカーだけにその走りは力強い。和賀川に沿って走り出すと、錦秋湖が見える。錦秋湖は、表面を薄っすらとした氷に覆われて、またその上に雪がつもるという冬ならではの光景を見せてくれた。その後、しばらく川に沿ったり離れたりを繰り返し、ほっとゆだ駅に到着する。ちょうど北上線の中間地点にあたるこの駅内には共同浴場があって、駅なのに温泉に入れるという事で有名だけれど、今回は機会を逃した。次回こそは是非に。

列車は奥羽の山を徐々に抜けて、平野が広がると横手に到着した。ここで1時間ほど乗り換え時間があるので、街をブラブラ。横手といったら、カマクラである。つい、先日まで横手かまくら祭りが開催されていたので、一個くらい残っているだろうと思い散策する。かまくら館の近くにいくと、公園に大きいかまくらが一個まだ残っていた。さっそく中に入ってみる。思ったよりしっかりしていて、風をしのぐ事を考えればかなり暖かい。なるほど、これがかまくらかと、じっくり見ていると、高校生が変な目で私を見る。彼らにとっては珍しくもなんともないのだろうけど、私にとっては珍しい。さて、十分満足して、今度は横手城址でも見に行くかと思えば、意外に時間を消耗していた。失意のうちに、横手駅へと戻る。ちょうど腹も減ってきたので、今度は横手やきそばの店を探す。横手は、「焼きそば」による町興しを目指していて、商店街にも「焼きそば」の文字が躍る。けれども、今日は日曜日で、どの店もまだ暖簾を閉じている。残念だなと思っていると、横手駅の食堂に「焼きそば」と書いてあった。なんだか時間を無駄に消耗した気がするが、とりあえず注文してみる。横手焼きそばは、麺の上に半熟の目玉焼きがのってきて、黄身を割りながら食べるのがいいらしい。さっそくその方法で食べる。うまい。ちょっと癖になりそうだ。ボリュームもかなりあって、十分以上に空腹を満たす事が出来た。お代わりをしたいところだが、発車時間が迫っているので、急いでホームへと向かう。奥羽本線の秋田行きの列車も701系で通勤電車型のロングシートだった。おまけに車内は混んでいる。このロングシートは、景色を写真に収めようと思うにも、どうも隣の人や席の前に座る人が気になり、撮ることが出来ないし、窓も暖房のために真っ白に曇っている。どうも景色を見るのに向かない。仕方が無いので、音楽を聴きながら過ごす。本当なら、列車の音や車窓を存分に楽しみたくて、旅の途中には音楽などを聴かないと心に決めていたけれど、何も見えないのなら仕方ない。進行方向に、秋田新幹線「こまち」の車両が整備されているのを横目に、大曲に到着する。秋田新幹線に乗り換える人も含めて、ほとんどの乗客は降りてしまった。車内は静かになる。ここから先、奥羽本線は、新幹線の通る標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1036mm)と幅の違う線路が併走して走る。奥羽本線は福島から青森にいたる幹線だが、福島-新庄間は山形新幹線、大曲-秋田間は秋田新幹線が乗り入れし、直通する列車は一つも無くなってしまった。その奥羽本線の駅をこまめに止まりながら、列車は進む。秋田新幹線が隣を爆走するが、こっちは我関せずという感じで、ゆっくりとしたペースだ。かなりの雪が降る中、秋田に到着。ここでも、時間があるのでしばし秋田の街を歩こうかと思ったが、駅舎を出た瞬間、全くのその気が失せた。関東の地方都市と全く変らないような駅前に閉口した。まったく地方色というものがなく、散策する気が失せた。新幹線開通によって、秋田は東京にずっと近くなって、駅舎も新装した。でも、その地方独特の雰囲気を壊さなくてもと思う。

そういうわけで、秋田駅の中をうろうろし、駅弁やお土産を見て歩く。今日の宿泊地の米沢で、おいしい肉でも食べようかと思ったが、比内鳥弁当が私を呼んでいるような気がしたので、勢い余って購入する。ストライクかボールかは、この後はっきりするだろう。

特急「いなほ10号」は、秋田駅始発なのだが、発車時間10分前になっても入線しない。おかしいなと思っていると、やはり遅れているそうだ。外はかなりの雪で、その影響であろう。到着と同時に、係りの人が手早い手つきで車内整備を行い、すぐに折り返しのスタンバイが出来た。全くといっていいほどの素晴らしい職人芸だった。さて、列車に乗り込むと、さっそく比内鳥弁当を食べる。どうやら、ストライクのようだ。

列車は、秋田郊外をしばらく走ると、すぐに日本海に沿う。雪が舞う中、荒れ狂う波が海岸線に押し寄せる。まさに、日本海らしい光景だ。太平洋や瀬戸内海を見る時は、晴れていた方が綺麗なのだが、日本海はやはり冬の季節に見るのがいい。

そんな荒れ狂う、日本海を眺めていると車内改札が始まる。最長片道切符を見せると、「ほぉ~」といった感じで、「がんばってください」と励まされる。こちらは、頭を下げるのみだ。こういった小さい励ましが、非常にありがたい。

列車は相変わらず、日本海を沿って走る。波は猛々しい。すこし、海岸線から離れて、酒田に到着する。ここも途中下車したいが、米坂線が途中下車を許してはくれないダイヤ設定になっているので、見逃す。思い返せば、東北地方の日本海側の都市に途中下車した記憶がない。いつも、機会を逃す。次回は日本海縦断でもしてみようかと思う。

さて、坂町着。出発していく特急「いなほ10号」の車掌に、頭を下げると、敬礼をしてくれた。この車掌さんに、再び巡りあうことはあるのだろうか。

坂町駅で、米坂線に乗り換える。日本一の豪雪地帯を進む路線として有名だ。今日の天気は雪で、今も降り続いている。坂町駅の待合室には、石油ストーブが置かれていて、非常に暖かい。そこをでると、まさに極寒という感じなので、雲泥の差だ。

米坂線の列車に乗る。昨日山田線で乗ったのと、同型のキハ52型に乗車する。さて、いざ発車と思ったら、なかなか出発できない。どうやら、線路の上に氷の塊があるようだ。運転士がエンジンを全開にすると、ようやく出発した。先が思いやられる。羽越本線と分かれると、しばらくは平地を行くが、山深く進むにつれて、降る雪の量も、積もっている雪の量も多くなってくる。すでに、車窓は暗くなっているが、列車の先頭につけたスノープラウが跳ねる雪と、走行の風で舞い上がる雪が窓にくっ付き、凍っていく。雪は列車の窓にまで達している。小国駅で列車行き違いのために少々長時間の停車。列車の外に出てみると、列車の窓と扉にはびっしりと雪が氷結していた。

すでに、車窓は眺める事が出来ない。けれど、雪をかき分ける音とディーゼルエンジンのサウンドが車内に響く。今泉に停車。ここは、故・宮脇俊三先生がその書かれた本の中で度々書かれたこともある、先生が終戦の玉音放送を聴いた地である。ファンにとっても、そして亡くなられた先生にとっても思い出深い駅である。その駅名表を写真に撮ろうと思ったら、列車から降りようとしていた人が一向に降りない。どうやらドアが開かないようだ。一生懸命引っ張るが、ダメ。後ろの車両に移ろうとした矢先、車掌の出発の笛が響き、扉が閉まった。一同、「え…」という言葉しか出ない。その人たちは、次の駅で降りて、携帯電話でタクシーや迎えの車を頼んでいるようだった。なんとも不運である。

そんなこんなで、列車は山を下り、米沢に到着した。米沢牛の弁当を買おうかと思ったが、すでに売り子さんは店をたたんでいて、買えなかった。市街地も遠いし、疲れているので真っ直ぐホテルへの道を辿った。
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by sojo_skyline | 2005-02-20 23:59 | 旅行記


第5日目 八戸→北上 静かな童話の街での忙しい一日

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昨晩はたっぷりと睡眠をとる事が出来た。というのも、今日の出発は今までの行程の中で一番遅い、10時3分発の「はやて10号」である。今回、旅の行程を計画する際には、とにかく日の出から日暮れまでの時間を有効に使おうと、朝早くに出発し、日が沈む頃に宿へ入るということを心がけた。しかし、今日盛岡から乗る山田線の列車の本数が少ないため、いくら八戸の出発を早くしても、意味が無いということで「はやて10号」に乗る事になった由。だが、これは正解だった。昨晩、思った以上に疲れが出て、風呂にも入らず眠り込んでしまったからだ。やはり、青森で一泊するべきだったと反省する。

さて、宿を9時ごろチェックアウトし、八戸駅へ向かう。八戸駅は2002年12月に東北新幹線が延長され、新装された。駅前も土産屋が立ち並び、大型ホテルも建設途中である。しかし、それは表側で、裏口は普通の住宅街があるだけだった。とにかく、その八戸駅から出発する。「はやて10号」には盛岡までしか乗らないため、立ち席特急券を購入した。全車指定席の「はやて」だけれど、盛岡までは空いてる席に座っても構わないという切符だ。盛岡までゆったりと新幹線の旅を楽しもうと思っていたが、予想以上の人出に驚く。発車時間が近づくと、待合室はほぼ満席。キオスクには駅弁や飲み物を買う人が殺到している。東北新幹線の利用者は、東京-仙台がほとんどと聞いていたが、これは意外である。いざ、列車のドアが開くとほとんどの席は塞がった。仕方が無いので、デッキに立っておく。本当の「立席」になってしまった。

10時3分定刻に発車。八戸を出て5分もしないうちにトンネルへ入る。この、盛岡-八戸間は山岳地帯をトンネルで貫いて建設されたため、路線約7割はトンネルである。時々、美しい山が見えるが、すぐにトンネルに入り見えなくなる。確かに新幹線開通で、八戸-盛岡間の移動は便利になったが、少しつまらない。急ぐ人には、車窓なんて関係ないのかもしれないが。

30分で盛岡に到着。たった30分のために高い新幹線特急券を払うのは少々気に障るが、仕方がない。新幹線の八戸延長で、盛岡以北と八戸以南の東北本線は第三セクター、IGR岩手銀河鉄道と、青い森鉄道に分断されている。盛岡から山田線ホームへ向かう。今度の山田線の列車は快速リアス宮古行きで、2両編成だった。その内の先頭は、キハ52にという元急行型の車両であった。せっかくなので、そっちに乗り込んでみた。ちなみに、北国の列車は、ドアは手で開ける。せっかく暖めた車内を温度を保つためで、知らないと乗り損ねたり、降り損ねたりするので、注意が必要だ。この列車もそうなのだが、最新の電車とは違いドアが重い。お年寄りには少々きつい気がする。

粉雪が舞う中、定刻に出発。東北本線と別れ、しばらく盛岡市内を走ると、すでに山の中だ。山田線には昨年の5月に乗った事があるのだが、そのときはちょうど新緑の季節で、車窓の山々の美しさに心を打たれたのだが、今日は真冬で、しかも吹雪という全く別の風景を見せてくれている。雪が木を黒く見せ、山水画のような風景が続く。その中を「快速リアス」は快調に飛ばすのだが、暖房のぬくもりと疲れがでて、少し眠る。気づけば、茂市駅だった。この茂市駅から岩泉線が分岐しているのだが、一日に数本しかなく、そのため本州には珍しく自然がそのままの形で残されていて、秘境路線というので人気を集めている。時々、盛岡から直通の臨時列車も時々走っている。さて、その茂市を過ぎると、閑伊川に沿って走り、山を抜けると、宮古に到着した。釜石行きはすぐの接続で、全く観光することができないのが残念だ。今日の行程は、接続がうまく行き過ぎているので観光する暇が全くない。少々急ぎすぎる日程を組んだのを反省するが、仕方がない。すでに北上の宿を予約してしまった。このまま、旅を続ける。

釜石行きは、高校生と地元の人で混んでいた。少々騒がしいけれど、ローカル線にとっては貴重な収入源だ。宮古駅を出ると、橋を渡る。カモメが多く飛び交い、漁船が並んでいる。いかにも港町という感じがする。しばらく行くと、久々に太平洋を拝める事が出来た。けれど、天気はドス曇りで、海も灰色だ。雪もかなり降っている。けれども、それが小さな港町とあっていて、なんともいえない風情がある。住んでいる人にとっては、それどころではないのだが、旅人にとってはそういう印象を与えてくれる。途中、吉里吉里という駅に止まる。※

駅に近づくたびに、そういう小さな港町があって、駅を離れると太平洋を眺める。それの繰り返しで、14時11分に釜石に到着する。釜石は、昔から鉄の町として栄えていたけれど、鉄鋼業界の再編等で寂れてしまった。駅の直ぐ傍にあった鉄工所も規模を縮小していて、跡地にはレジャー施設が建っていた。そんな釜石も歩いてみたい町だけれど、あいにく乗り換え時間は6分しかなく、しかも釜石線の快速「はまゆり」は混んでいて、空席を見つけるので、やっとだった。この快速「はまゆり」は元急行「陸中」で使用していた車両を使っていて、全席リクライニングシートと、非常に快適だ。釜石発14時17分。釜石をでると、先ほど走ってきた山田線と併走して、線路が左右に分かれていった。釜石線は「銀河ドリームライン」という愛称が付けられている。というのも、釜石線はかつて花巻鉄道という私鉄で宮沢賢治が、愛した鉄道として有名である。ゆえに、彼の小説「銀河鉄道の夜」にあやかって、そういう愛称が付いている。駅それぞれには、何語かはわからないけれど、カタカナの愛称が付いていて面白い。陸中大橋駅を通過する前、下にこれから通る線路が見える。ここは、釜石線が建設される際に、政治家たちの我田引水ならぬ我田引「鉄」合戦のために、こういう形になった。今でも、政治家のやっている事は変っていないような気がする。陸中大橋駅を過ぎるとトンネル内で大きく左にカーブし、先ほど見えた線路上を走る。列車はかなり混んでおり、新花巻で新幹線に乗り換えるのか、スーツ姿の人も数多く見える。車窓は、淡々と北上山地の中を進む。北海道の自然は、まさに「雄大」という言葉が相応しいのだが、本州に入ると自然の中にも、かならず一軒は家があって、それが微妙な哀愁を漂わせている。そんな中、民話の里、遠野に到着する。遠野も降りてみたいが、眠気がピークなので、腰が上がらず、そのまま「はまゆり」の旅を続ける。淡々と山の中を進んだ列車は、山を降りて新花巻に停車する。どこに新幹線の駅があるのかと思えば、霧の中から突然現れた。コンクリート橋が少々不気味だ。新幹線への乗換えか、大きな荷物を持った人が多く降りた。新花巻を出ると、街中を進み、東北本線の線路と合流すると、花巻に停車する。「はまゆり」は、この後盛岡まで東北本線を北上するので、乗り換えて東北本線の普通電車で、北上へと向かう。ふと、思ったのだが、今日は朝から何も食べていない。どうも気分がおかしいと思ったら、お腹が異常に減っているのに気づく。さっそく花巻駅で晩御飯に駅弁をと思ったが、全部売り切れたとの事。仕方が無いので、パンを買って空腹をしのぐ。

東北本線上りの普通電車は701系という電車であった。この701系は、何物入りで東北本線など、東北各地の路線に導入されたのだが、すべて通勤電車と同じロングシートという事で、あまり評判がよくない。ラッシュの時のことを考えるとベストな設計なのだろうが、それ以外の時間帯は不要な気もする。難しいところだ。しかし、701系の性能はすこぶるよく、快調に東北本線を南下する。外はかなりの雪が降っている。

北上に到着。ホテルへと向かう。今日は、食料の調達に時間がかかりそうだ。
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by sojo_skyline | 2005-02-19 23:59 | 旅行記


第4日目小樽→八戸 雄大な自然…さらば、北海道!


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窓が明るいので、どうしたのかと思って窓を開けると、海の向こうから朝日が昇っている。昨日の吹雪が嘘のような晴天だ。今日は、いよいよ青函トンネルを抜け、本州へ上陸する。もう北海道を渡ってしまうのかと思うと少し寂しい気もするが、この切符は残念ながら前へ進む事しかできない。というわけで、本州へ行く。

宿をチェックアウトし、小樽駅へと向かう。今日は、8時7分発の列車からスタートなので、昨日とは違い、十分な睡眠をとる事が出来た。足取りも軽く、駅への道を歩く。

小樽駅では、札幌方面へと向かう人でごった返していた。折り返しの札幌行きの電車は、ほとんどが満員で出発していく。なかなかあわただしい。私が乗る列車は、その方向とは逆の函館本線経由長万部行きである。この、小樽-長万部間は通称、山線と呼ばれている。海沿いを走る室蘭本線とは違い、勾配も急な山の中を走るゆえ、そう名づけられている。ゆえに、全部の函館行きの特急列車は山線を通らず、海沿いの室蘭本線を経由している。だが、山線は羊諦山やニセコの山々など、数多くの有名な山を見る事が出来るので、私は山線が好きだ。また、SLファンにとっては忘れることも出来ない地であろう。というのも、かつて走っていた急行ニセコ(函館-札幌(山線経由))の牽引機として国内最大の蒸気機関車、C62型が重連でこの路線を走っていた。ゆえに、SLブームの際には多くのカメラマンがこの山線を訪れ、蒸気機関車の迫力ある走行シーンをファインダーに収めていた。昨日、小樽に来る際に、そのC62型の基地があった小樽築港を通ったが、全くといっていいほど、その当時を偲ばせるものはなく、寂しさを覚えた。

そういう、函館本線の山線の列車に乗る。気動車1両である。思ったより多くの人が乗る。若い人はニセコへスキーに行くのだろう。

さて、8時7分の定刻の発車。青空が澄んでいてとても綺麗だ。さて、列車は小樽を出ると、しばらく市街を進む。しかし、余市を出ると線路は山の中へと進んでいく。太陽光に雪が反射していてダイヤのように光っていて、凍っていた川は溶けて、美しい流れを見せる。雄大な北海道の自然を一目に見る事が出来る。もう、春はそこまで来ているようだ。深い山を越えて、少し、街並が現れると倶知安駅に到着。倶知安と書いて「くっちゃん」と発音する。語源はアイヌ語で、北海道の地名はほとんどがアイヌ語を起源としている。倶知安駅でしばらく停車する。左には羊諦山が山容を見せており、右にはニセコ連山が見える。山線の良い所を凝縮したような駅だ。倶知安駅を出ると、羊諦山の麓をしばらく走る。山頂にお椀形の雲がかかっていて、全部の姿を見せてはくれないのだが、稜線はくっきりと見えていてとても綺麗だ。車窓右にはニセコの山々が見えて、車窓を見るのが大変だ。路線は、再び山の中へ入り、羊諦山の山容ともお別れすると、比羅夫という駅に停車する。この駅舎はロッジ風になっていて、なんと宿泊施設もある。真正面にニセコを見る事が出来、しかも駅直結というこの上ない旅館だ。昨日の宿泊地をここにするか悩んだが、港町に惹かれて小樽にした。しかし、機会があればぜひ泊まってみたいと思う。

ニセコ駅でスキー客が降りて、車内はまったりとした雰囲気になる。しかし、まだまだ山越えは残っている。しかし、今乗っている最新鋭の気動車は、かつてC62重連が苦労して登った峠を難なく登っていく。技術の進歩とはすごいものなのだと痛感する。けれど、止まる駅のどこにも、そんなC62が走っていたという形跡がなくさびしい気がする。完全なる判官びいきだけれど、そう思う。蘭越から再び峠越えに入る。天候は悪化して、雪がかなり降り出した。小さな駅にこまめに止まり、平坦になったと思うと、左から室蘭本線が合流し、長万部に到着した。11時13分。この後直ぐに特急北斗に乗って森まで行ってもいいのだが、長万部温泉という文字が目に入ったので、行ってみる事にした。どうやら、雪を降らせていた雲を列車は追い越したらしく、長万部の天気は晴れである。長万部駅前をしばらくあるき、駅を見渡す歩道橋を渡ると温泉街があった。といっても、本当に小さな温泉街でしかも、歩いている人がほとんどおらず、ゴーストタウンのようであった。しかし、温泉につかろうと、何軒か旅館に入ってみるが、番頭には人がおらず、声をかけてもでてくる気配がなかった。仕方が無いので、駅へと引き返す。どうやら、雪雲が長万部まで襲来し、いきなり雪が降り出した。途中、ラーメン屋によって昼食。ライス付きで680円とかなり安かった。JRの人も利用していた。

長万部発13時ちょうど発の函館行きは砂原線経由となっている。函館本線は森駅から二手に分かれていて、海外線沿いを走る方を砂原線と呼んでいる。そちらの方がキロ数が長いので、最長片道切符のルートも当然、砂原線となっている。

長万部を出ると、内浦湾にでる。ここから、しばらくは内浦湾に沿って走る。雪雲が行ってしまったか、天気は再び回復してきて、内浦湾を挟んで駒ヶ岳を望むことができ、また、室蘭の工場群も見る事が出来る。今日は運が付いているようだ。嬉しくなる。

問題の森駅に停車する。ここで、数分停車するので、名物駅弁のいかめしを買いに走るのだが、ホームに売り子さんの人影がない。探し回っているうちに、高校生らしい集団が列車に乗り込んでいった。あわてて列車に戻る。車内に入ると、案の定、私の荷物を忘れ物だといってどこかにやろうとしていたので、慌てて奪い取る。この集団、非常に態度が悪い。携帯の音はバンバン鳴らすわ、挙句の果てには、禁煙の車内でタバコを吸いだした。目も当てられない。車窓右側は、先ほど見えた駒ヶ岳を近くに見る事ができ、次第にその麓を走るようになる。左側は内浦湾に沿い、海と山とが一緒に楽しめる。けれど、せっかくの雰囲気も、彼らのおかげで台無しだ。渡島砂原で下車していったが、車内マナーをもう少し考えて欲しいと思う。

さて、私は流山温泉駅で途中下車した。この駅の近くには流山温泉という銭湯があって、その他にもゴルフ場などもあるレジャー施設がある。だが、降りてみると、川のせせらぎ以外、全く音がしない。あるのは駒ヶ岳のみ。正直なところをいうと、近くに道路があって車が通ると雪を走る音がするのだけど、本当にそれ以外は雑音が一切しない。雄大すぎる自然に、自分がちっぽけな存在だと思わざるを得ない。

振り返ると東北・上越新幹線で走っていた200系車両がど~んと置かれている。どうやら、北海道新幹線の早期実現を願って、展示しているらしい。しかし、いきなり200系があるのは、非常に浮いている。

さて、温泉へと向かう道で犬に吼えられる。散歩の老夫婦の犬だが、そんなに吼えなくても…と思う。このレジャー施設はどうやら冬季は銭湯しかやっていないようだ。ゆえに、人影もまばらだ。入浴量を払って、内部に入る。脱衣所でおじいさんに会うが、私が来るや否や出て行ってしまったので、客は私独りになる。さっそく湯船に浸かり疲れを癒す。そして、露天風呂へ。露天風呂からは、駒ヶ岳が一望でき、最高の気分で温泉に浸かる。思えば、4日間北海道を延々と周り、今日で北海道を抜けてしまうのだと思うと寂しさがこみ上げてくる。もう少しゆっくり周ればよかったかなと思う。けれど、この切符の有効期限の中で旅を満喫したいと思うので、やはり今日は予定通りに八戸へ向かうことにする。1時間弱、駒ヶ岳と温泉を堪能し、再び流山温泉駅へ戻り、函館行きの列車を待つ。定刻より少し遅れてついた列車は、2人しか乗っていなかった。大沼で、ショートカット路線と合流するも、再び別れ、大沼国定公園の中を進む。辺りはすでに暗くなってきた。七飯で路線が合流し、街中に入る。すでに函館市内だ。さて、切符のルートは五稜郭駅で乗り換え、江差線、津軽海峡線と進むようになっているが、今日のラストランナー、特急白鳥42号は函館から出発するので、いったん五稜郭駅で降りて、函館へ向かう事にする。五稜郭駅で、駅員に切符を見せると、
「おぉ!これは、最長片道切符ですか!あなたもやられているんですね。いやぁ、すごい!この切符作るのに、どれくらいかかりました?」
「1週間かかりましたよ。」
「私だったら断りますね(笑)」
「いやぁ、迷惑な客だったと思います」
と会話を交わす。すると、駅員さんは、なんと五稜郭駅長を紹介してくれた。駅長さんは、NHKの番組でも出演してらっしゃったので、とても歓迎してくれた。色々キオスクのおばちゃんも会話に参加し、しばし雑談。すると、駅長さんは
「ここで会ったのも、何かの縁だから」と言って、名刺とボールペンを渡してくれた。すると、キオスクのおばちゃんは、「風邪をひかないように」と、のど飴をくれた。とても暖かい対応に、こちらは感謝の辞を述べるばかりだ。函館行きの列車の改札が始まり、駅員さんにお礼を述べ、ホームに行く。五稜郭駅は貨物ターミナルがあり、貨物列車を牽引する機関車がひっきりなしにやってくる。そんな中、函館行きの列車が入線。車内は混んでいたので、デッキで立っていることにした。数分で函館に到着。函館駅は、最近立て替えられ、近代的なバリアフリーの駅に変貌していた。あまりの変り様に、少々驚く。確かに、今の駅舎の方が、よいのだけれど、昔の駅舎もどこかに保存して欲しかったと思う。

さて、今日のラストランナー、特急白鳥42号へ乗車する。指定席を取ったのだが、乗車率はそこまで高くない。けれど、札幌からの特急が到着すると、乗り換える客が意外に多い。それでも、20人程度だが。白鳥は定刻に発車、五稜郭で大阪行きのトワイライトエクスプレスとすれ違い、一気に進む。もはや、外は見る事が出来ないので、PCに向かって遅れているブログの原稿を書く。作家のような生活だ。

19:23分ごろ、青函トンネルに入った。北海道に別れを告げる。寒かったけれど、人の温もりを感じる事が出来た4日間だった。ありがとう、北海道!

青森駅で、ほとんどの乗客は降り、八戸に向かう人はまばらだ。通過する駅もほとんど人影が無く、むなしく明かりだけがついているといった感じだ。21時51分、八戸着。さすがに、疲れた。今日はゆっくり寝よう。明日からは、いよいよ本州の旅が始まる。
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by sojo_skyline | 2005-02-18 23:59 | 旅行記


第3日目 釧路→小樽 北海道最後の夜

第3日目 釧路→小樽
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携帯の目覚ましで、目を覚ます。時間はまだ4時を回ったところだ。さすがに眠い。早起きしたのには理由があって、釧路を6:00に出る各駅停車、滝川行きの普通列車は何を隠そう日本で最長の距離を走る列車なのだ。けれど、この列車は帯広で列車番号を変えて、快速「狩勝」となって滝川まで行くため、実際の最長距離を走る鈍行は滝川を9:38出る釧路行きの2429Dという列車だ。だが、私が乗る列車も同じ距離を走るので、最長である事には変わりない。小難しいが、要するにはこの列車に乗りたかった。昨日の宿泊先を釧路か帯広かで悩んだが、せっかくならばと、この列車に始発駅から乗る事にしたのだ。だが、さすがに辛い。カーテンを開けると、雪がかなり降っており、駐車場の車は雪だるまのようになっている。

5時ごろホテルをチェックアウトし、駅へと向かう。辺りはまだ真っ暗だ。歩いて駅に着いて、いざ待合室に入ろうとドア開けようとするが、開かない。よく見ると、「釧路駅の利用時間は5時半から」となっていて、コンコースの扉も鍵がかけられている。列車に乗る前に、駅蕎麦でも食べようかと思ったのに、予定外だ。寒い。仕方が無いので、近くのコンビニで朝食を買おうと、店に入ったが、今度は店員がいない。すいません!と叫んだが、出てくる気配がない。お金だけ置いて、もって帰ろうかと思ったが、さすがに万引きと間違えられると問題なので、何もせず引き返す。しかし、店員は何をしていたのだろう…

自動販売機でコーヒーを買い、とりあえず温まる。すると、やっと駅のドアが開いてやれやれという感じだ。だが、安心したのか一気に眠気が襲う。せっかくの旅なので、できるだけ列車の中では起きていたいが、今回は無理のようだ。

列車の改札が始まったが、ホームには列車がまだ入線していなかった。寒いホームでしばらく待つ。雪は相変わらず、降り続き、風も強い。気温はかなり低い。再び自動販売機で、コーヒーを買ってとにかく眠気を覚ますのと、体をあっためる。しばらく待っていると、帯広方からライトが見えて、ようやく列車が入線。車両はキハ40。国鉄時代からずっと使われている車両だ。車内の扇風機には国鉄を示す「JNR」の文字が刻まれている。一昨日も乗車したけれど、他の車両よりもこの車両の方が、私は好きである。発車を待っていると、独り言をブツブツ言っている外国人が乗り込んできた。何を言っているのか、さっぱりだが、ひたすら喋った後、優先席に寝転がって深い眠りについてしまった。今日は、平日である。この後、当然通勤・通学の乗客が乗ってくるだろう。大丈夫なのだろうか…

定刻6:00、車体をブルブルと震わせて出発する。まだ暗い釧路市内を走る。車窓は昨日の釧路湿原の続きのような風景が続くが、工場がかなり立ち並び、道路の交通量も多い。駅に着く度に高校生が乗ってくる。彼らは朝から元気だ。昨日のサッカーの話題で盛り上がっている。例の外国人はいびきをかいて、ぐっすりと眠りについている。6時38分白糠着。昔は、ここから北進までの白糠線というローカル線があった。昭和55年の国鉄再建法で特定地方交通線の廃線第1号となり、昭和60年に姿を消した。しかし、その遺構はまだ数多く残っているようで、廃線跡を巡る人は多い。乗客がけっこう乗ってきた。

白糠を出ると、海の傍を走る。空は厚い雲に覆われていて、辺りも暗い。しばらく、列車は暗い中を進む。この辺りの車窓は変化に富んでいて、海に湿原にと見るものは多いが、睡魔に襲われそれどころではない。それでも、朝は始まっていて、ビジネスマンや学生が乗ってくる。けれども、思ったよりも数は伸びない。すれ違う列車は3両もつないでいた。どうやら、この辺りの生活圏の中心は釧路の方にあるようだ。旅をする者にとっては、静かな車内が保たれていてすこぶる快適である。眠気も一気に襲ってくる。

池田着8時11分。ここで、後ろに車両を連結させる。連結される車両は、池田と昨日出発した北見を結ぶ第三セクターの北海道ちほく高原鉄道の車両だ。この鉄道会社は、旧国鉄の池北線を引き継いだのだが、元々沿線住民が少ないため、巨額な赤字で苦しんでいる。最近では、廃止の噂が絶えない。その車両を連結し、2両編成になった列車に、かなりの乗客が乗る。多くの乗客は帯広まで行くようだ。ちなみに、まだ外国人は爆睡している。どこまで行くのだろう…

池田から帯広までは約30分。帯広に近づくと高架橋になり、定刻通りに到着した。多くの人が下車し、ホームでは多くの人が列を成している。ほとんどの人は、札幌行きの特急「スーパーおおぞら」に乗るようだ。この列車は、この根室本線のエースとも呼べるべき列車で、札幌と道東を結ぶ航空路線のシェアを奪ってしまった。以前は、かなりの時間を有していたのだが、振り子式といってカーブを速く走れる車両を導入し、スピードアップに成功したのだ。最盛期には11両編成もつなげて走るとの事。さて、私はというと、その特急を見送り、快速「狩勝」のお世話になる。特急に抜かれるため長時間停車をするので、一旦改札を出て、名物駅弁の「豚丼」を買いに走る。紐を引っ張ると温まるという面白い容器に入っていて、温かい。そしておいしい。1日に駅弁は1回と決めているが、今日は北海道最後の夜だから、よしとする。さて、一ボックスに大体一人ずつ座り、定刻通り快速「狩勝」は帯広を後にした。キハ40は、元々近郊型だが、かなりのスピードを出している。あと3時間、この列車のお世話になる。

列車は帯広市内を抜けると、広い十勝平野を進む。牧場が次々と現れる。牛も寒そうに、集団で集まって寒さをしのいでいるようだ。そんな雄大な牧場をみていると、心が広々してくる。十勝平野が過ぎると、新得駅に停車。ここから、狩勝峠越えに入る。昔は、日本三大車窓と謳われたこともある、十勝平野を一望できる所を通っていたが、勾配が急なため、現在の路線に付け替えられた。新線は狩勝峠をトンネルで一気に駆け抜けていく。ゆえに、その美しい車窓も見る事はできない。快速「狩勝」はその新線をかなりのスピードで駆け抜ける。といっても、80キロくらいだが。新得-落合間は一駅にも関わらず、駅間が30キロほどあり、途中多くの信号所がある。いずれも、分岐器をフードで覆い、雪対策は万全のようだ。北海道の鉄道は、冬季でもこうして安全と正確な運行が保たれているのは賞賛すべきものがあろう。その、信号所をいくつか通過し、落合信号所で、石勝線と別れる。石勝線は1980年代に根室本線と南千歳(以前は千歳空港駅)をショートカットするべく建設された路線で、特急はそちらを通る。こちらは、根室本線を延々と走る。山々は雪で真っ白に覆われており、白と黒のコンストラストが非常に美しい。車内は、家族連れが乗っていて、楽しそうだ。昔の自分を思い出すようで、しみじみとした感じ。途中、幾寅駅に停車。ここは、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台になった駅で、現在も撮影時に使われた駅舎がそのままで残されている。私も、この映画をテレビで見たのだが、見た感じでは、田舎の小さな駅という感じであったのだが、意外に開けていて、家も多く、少々興ざめだ。

富良野着11時32分。私は、富良野線を進むので、この快速「狩勝」ともお別れだ。5時間もお世話になったので、少し乗り換えるのに寂しさを覚える。富良野線の列車は最新鋭の気動車で、一気に時代が変わったような印象を受ける。車内はそこそこの混雑。狩勝峠はあまり天気が安定していなかったが、富良野は晴れている。だが、顔に当たる風は冷たい。さて、定刻通りにドアが閉まったのはいいが、なかなか列車が動かない。運転士もあれ?といった感じで、マスコンをフルノッチに上げる。すさまじいエンジン音のあと、ガクッという衝撃でようやく出発。富良野線沿線は、夏ともなるとラベンダー畑や多くの花と緑で覆われるのだけれど、それらは雪に覆われている。けれど、天気がよく雪景色も美しい。けれど、富良野線沿線は意外にも開けていて、狩勝峠のような雄大な自然は拝める事が出来ないのは残念だった。途中峠越えもあったが、それ以外はごく平凡の路線だった。やはり、富良野線は夏に来るべきなのだろう。旭川市内に入ると無人駅でも、かなりの乗客が乗ってくる。旭川には12:50の定刻に到着。私は、旭川から岩見沢に向かうのだが、岩見沢までは丁度よい普通列車がなく、仕方ないので特急に乗る。岩見沢からの室蘭本線の列車に間に合う特急は3本あって、そのどれに乗ろうかと悩んでいたが、昨日見た特急「オホーツク」に乗ろうと思う。オホーツクは定刻より4分ほど遅れてきた。気動車特急だが、快走を見せる。旭川-札幌間は直線区間が多く、かなりのスピードが出せるようで、「オホーツク」もかなりのスピードをだす。札幌と旭川は北海道第一の都市と第二の都市。ゆえに、沿線には工場やら家やらが立ち並んで入るけれど、その向こうには雄大な自然が広がっていて、北海道らしい景色を楽しめる。

岩見沢着。しばらく時間があるので、駅前の食堂で蕎麦と卵賭けご飯を食べる。久々に食べるご飯はとってもおいしかった。しかも値段の割りに大盛りで出てきたので、さらに嬉しかった。

岩見沢から室蘭本線、苫小牧行に乗車。キハ40の2両編成で、乗客はまばらだ。岩見沢を発車すると、一気に左にカーブして函館本線と分かれる。再び雄大な自然が広がる。黄昏時で、なんともいえない幻想的な光景だ。白い雪原に、空は薄っすらと赤く染まる。栗山駅に着く。ここは、夕張からの夕張鉄道が接続していた駅で、石炭輸送の拠点として賑わった駅だ。けれども、エネルギーの主流が石油となり、夕張の炭鉱も閉山し、夕張鉄道も姿を消した栗山駅はひっそりとたたずんでいる。

列車は、進み追分へ到着。先ほど分かれた石勝線と再会する。人の乗り降りがあって、南下する。石勝線は、ここから真っ直ぐ南千歳を目指している。かなりのショートカットだ。

沼ノ端が近づくと、遠くに工場群の煙突が見え始め、コンビナートもあるようだが、近くは新興住宅街の様相を呈している。上を見上げると、新千歳空港へ着陸するべく飛行機が飛んでいた。上も下も、賑わっている。さて、沼ノ端に16時25分に到着。けれど、せっかくなので終点の苫小牧まで行ってみることにした。千歳線の列車も沼ノ端から出ている。進行方向左に工場群を眺め、苫小牧着。ここから、岩見沢行の「電車」に乗り込む。思えば、この2日間電車に乗っていなかった。北海道は広い。

さて、列車は快調に飛ばす。今までがゆっくりとした気動車の旅だったので、その快走ぶりに少し目が狂う。新千歳空港の脇を走り、南千歳着。ここで、快速エアポートに乗り換える。別に、このまま岩見沢行きに乗っていてもよいだが、久々にエアポートに乗りたくなった。快速エアポートは、デッキまで人が溢れていた。けれど、札幌まで30分弱とかなりの速度で飛ばす。夕暮れが迫る北の大地。今日で、北海道の夜ともお別れだ。少し感慨深い。

札幌には定刻に到着。丁度夕方のラッシュに当たる時間帯で、札幌駅は多くのサラリーマンでごった返していた。今までの旅でこんな風景とは全く無縁だったので、少し圧倒される。大都市の風景はどこへ行っても同じだ。さて、今日の宿泊地は小樽としているが、ちょっと札幌で途中下車して、ブラブラと駅前散策。しっかし、札幌駅も変わってしまった。

小樽には19:00ごろ到着。実は、小樽では「第7回小樽雪あかりの路」というイベントをやっているらしいので、ホテルで荷物を置いてさっそく見学へ。小さなカマクラにローソクの灯りを入れて、ライトアップするというもので、かなり綺麗。しかし、天気はあいにくの吹雪で、とても長時間見ていられない。それでも、1時間くらい小樽の街を散策した。港町小樽。石原裕次郎も愛したこの街で、北海道の最後の夜を過ごした。
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by sojo_skyline | 2005-02-17 23:59 | 旅行記

    

最長片道切符で行く日本縦断の旅
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