The Longest one-way Ticket ~最長片道切符の旅・2005春~


第1日目 稚内→北見

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朝5時に目が覚める。寝つけが悪く、夜中に2度も目が覚めた。けれど、5時にセットしたアラームが鳴ると、いよいよ出発なのだと気合が入る。旅館の他の人はまだ寝ているらしく、部屋の明かりがついていない。音が響かないように顔を洗ったり歯を磨いたりと、気を使いながら身だしなみを整える。荷物の整理をして、部屋をキレイにして、一回に降りてご主人を起こす。管理人室をノックすると、すぐに出てきてくれた。どうやら、私のために起きていたようで、申し訳ない。宿代を払い、ご主人に感謝の辞を述べて、稚内駅へ向かう。雪は降り続いている。よく、雪が振る様を「しんしん」と表現するが、まさにそんな感じで雪が降っている。雪も昨日、稚内に着いた時よりも積もっている。旅館がある路地には人の気配が感じられなかったのだが、駅に近づくと多数の除雪車が動いて、道路の雪かきをしている。冬の北海道の朝は早い。

さて、この最長片道切符の旅の記念すべき第一列車は、稚内発6時38分の名寄行きである。だが、速めに旅館を出たのは、稚内港の防波堤ドームとJR最北端地点の碑を見たかったためだ。本来の計画では、昨日のうちに済ませたかったのだけれど、到着が22時と予定が大幅に狂ったので、今日、出発前に見ておきたかった。というわけで、まずは港へ向かう。稚内のシンボルともなっている防波堤ドームは、全長427m、高さ13mにの半アーチ型の建築物で、さながらローマ建築のような佇まいだ。かつては、旧国鉄の路線が、このドーム内まで乗り入れし、そこからサハリンやロシアへと人や物が運ばれていった。腐食が進んだために、一旦取り壊されたドームだが、昭和55年には前と代わらず再建され、2001年には、北海道遺産に登録されている。

その、防波堤ドームに向かうのだが、風が強い上に、除雪もまだ、十分に行われていないため、パンフレットでは駅から徒歩5分とあったが、とても行けそうになかったので、写真に収めて引き返す。今度は、最北端の碑に向かおうと思ったが、こちらも雪で覆われており、とても行けそうになかった。仕方がないので、おとなしく駅へと引き返す。その代わりと言っては何だが、最北端駅到達記念入場券を購入した。

稚内駅では、すでに立ち食い蕎麦が開いていたので、そこで朝食。なかなかうまい。この先、音威子府駅では名物の黒い蕎麦を食べる予定にしているが、空腹には勝てぬ。

食べ終わったのと、同時に名寄行きの改札が始まった。結構人が流れる。私は、カバンから最長片道切符を取り出し、駅員に見せる。反応を楽しみにしていたが、
「どこら辺に判子押しましょうか?」と聞かれてしまった。さすがに、駅員もこういう客の対応に慣れてしまったようだ。とにかく、切符の下の方に、「稚内」という文字が入った検札印が押された。いよいよ、12000キロにも及ぶ長い旅が始まった。

列車に乗り込む前に、先ほどに書いた碑をホームから写真に収める。そして、今回の旅のトップバッター、キハ54型を撮影。車内は、暖房がこれでもかというほど効いており、なんと温度計は20℃を越えている。いくらなんでも、暑すぎる…

6時40分、ドアが閉まり出発信号が青を灯す。いよいよ、出発である。ブロロロとエンジンを唸らせ、キハ54は稚内を後にした。しばらくは、稚内市内を走り、南稚内へ到着。かつては、天北線が分岐していた駅であるが、今は車両所があるだけの駅になっている。北海道には、かつてはたくさんのローカル線が走っていたが、国鉄末期から90年代初頭にかけて、それらの多くは廃止された。残念でならない。

南稚内を出ると、稚内市外から離れ原野が広がる。天気は吹雪で、あたりは青白く見える。この先、利尻富士が拝める絶景ポイントがあるのだが、この天気では無理そうだ。案の定、そのポイントに到達しても、見えるのは雪だけあった。天気は悪化する一方で、もはや雪しか見えなくなってきた。それでも、列車は線路の上を黙々と定刻通りに走る。時々、昨日バスで通ってきた国道40号線と併走するが、車は一台も走っていない。むしろ、雪で覆われてどこが道路なのかわからないといった感じである。豊富で多くの高校生が下車し、車内は静かになる。

幌延着。ここも、かつては留萌へと走る羽幌線が分岐していた駅だが、その形跡は見ることが出来ない。ここで、少し雪が止んできて、天候が回復してきて、太陽の光が車窓へと注いでくる。白銀の世界。まさにその言葉が相応しい沿線風景が続く。並行する天塩川は完全に凍り付いていて、もはや川の面影はない。その白銀の世界に野生動物の足跡はしっかりと、刻まれている。おそらくキタキツネだろう。しかし、その姿を拝めることはできなかった。再び天候は悪化し始め、吹雪いてくる。

8時58分、音威子府着。ここで、途中下車することにする。名物の駅蕎麦を食べるためだ。出発を早めたのも、その蕎麦を食べるためだ。この後来る、特急スーパー宗谷に乗れば、順調に乗り継ぐことができるので、問題はない。乗ってきたキハ54の後ろを見ると、舞い上がった雪がこびり付いて、すごい顔になっている。よく走れるものだと、改めて感心する。橋を渡り、駅員に切符を見せたが、「どうぞ」とそっけない。もう少し反応してくれてもいいのにと思う。下車印も押してくれなかった。音威子府は、昔は天北線の基点駅であった。駅舎の中には、その天北線を偲ぶ小さな資料館があるなど、なかなか面白い。さて、目的の駅蕎麦だが、なんとシャッターが閉まっている。定休日は水曜とあるのだが、今日は火曜で、普通に営業日。おばちゃんに聞くと、朝に用事があり、先ほど仕込みを開始したばかりでお湯が沸いていないとの事。しかし、もう少しで開くというのでとりあえず安心。その間に、特急券を購入したり、先の資料館をゆっくり見るなどして時間をつぶす。特急に乗る人は意外に多く、みどりの窓口には列が出来た。札幌まで行く人が多い。そんな盛況の中、駅蕎麦のシャッターが開いて、早速注文。音威子府の駅蕎麦は普通の蕎麦と違って、黒いのが特徴。どうして黒いのかと、おばちゃんに尋ねると、どうやら麺製造元の社長さんが、普通の蕎麦粉に蕎麦ガラも混ぜているので、黒くなっているとの由。こだわりの麺らしい。どうやらおつゆがまだ十分に温まっていないようだが、猫舌の私にはちょうどよい。おいしくいただいた。

そして、特急の改札が始まり、ホームへ出ると天気が回復していた。駅を囲む山々が美しい。その山の向こうから青い車体の特急スーパー宗谷が入線してきた。モコモコモコと音を立て、雪を掻き分けながら入ってきた。このスーパー宗谷を含めて、JR北海道の最新型の特急はスウェーデン国鉄との技術提携をうけ、雪に強い設計とスピードアップによる所要時間の短縮に貢献している。スーパー宗谷の自由席はなかなかの盛況だ。ようやく、開いている席に座る。車内は静かで、なかなか快適だ。思わず眠たくなる。美深に停車。ここは、かつて日本一の赤字路線であった、美幸線が分岐していた。1分停車なのに、なかなか発車しない。というかドアを何度も開け閉めしている。どうやら、雪がついてドアが閉まらないようだ。あわてて車掌が取り払う。この雪の中、鉄道の運行を支えるのは大変である。今まで走ってきた宗谷本線の小さな無人駅にも、派遣された保線員が除雪に追われていた。厳しい寒さの中、ご苦労様と心から言いたい。あっという間に名寄に到着。途中下車する。

名寄は宗谷本線沿線で、一番大きな街だ。かつては名寄本線、深名線、宗谷本線と3路線が乗り入れしていたが、今あるのは宗谷本線のみとなった。かつてのヤードも大分縮小されたようだ。ホームの向こうに見える重厚なレンガ造りの機関庫が、かつての名寄の賑わいを物語っている。それを偲んで、今回は名寄に下りてみた。昨日のバスも名寄駅前を通ったが、すでに暗かったのであまり見えなかった。というわけで、街をブラブラ歩く。

今度の列車は、旭川行き。再びキハ54のお世話になる。なかなかの乗車率で、立つ人もでた。この列車も暖房がよく効いており、車内温度は26度。窓は外との温度差で真っ白になっている。上着を脱ぐ。名寄を定刻の11時43分に発車すると、あっという間に名寄市街地を抜け、再び山の中へ入る。名寄から旭川までの宗谷本線は、先のスーパー宗谷の導入に伴って、線形改造を受けたため、乗り心地はなかなかよい。昨日の寝不足もあってかここで、寝てしまい、気づけば塩狩であった。塩狩は三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台となった。雪に埋もれるように、記念館と、碑が立っている。こんなところに記念館を建てて訪れる人がいるのだろうか…

さて、塩狩峠を越えるとあとは旭川まで下るのみ。少しずつ、車窓から見える家が多くなってきた。私のもつ最長片道切符は、この先の新旭川で石北本線へと乗り換えるようになっている。だが、今日の宿泊地北見へと直行する列車は、旭川発15時05分の特別快速「きたみ」しかない。特急も当然あるが、北見着が遅くなるのと特急券を払うのが嫌なので、その列車に乗る計画でいる。ゆえに、一旦新旭川で降りて、後続の列車で別料金を払って旭川へ向かうことにする。新旭川着13時21分。ホームは雪で覆い尽くされていた。新旭川は無人駅で、トイレと待合室しかなかった。待合室にこもっても仕方がないので、ホームで雪を眺めながら列車を待つ。

新旭川発13時44分。すぐに旭川に到着し、改札を出る。先ほどは晴れていたが、再び吹雪いてきた。駅前散策をするつもりでいたが、辞めて、みどりの窓口で明日乗る予定でいた列車の指定席券を購入。乗車券を提示しろとのことなので、見せると「おぉ!例の切符ですか。本当に全部まわるのですか?気をつけてくださいね」と応援の言葉をいただいた。少し嬉しい。駅構内のファーストフード店で軽く食べて、新旭川までの切符を自動改札に入れ、再び入場。駅弁のおじちゃんの誘惑に負けて、今晩の夕食に「蝦夷わっぱ」という駅弁を購入。

特別快速「きたみ」は、1両編成のキハ54型であった。今日はキハ54型にお世話になりっぱなしだ。定刻より5分ほど遅れて出発。この列車の次の停車駅は上川で、1時間弱も駅に止まらない。かつての急行を思わせるような走りだ。乗客を見ると、ビジネスマンも乗っている。新旭川より、宗谷本線と別れ、石北本線へ入る。石北本線は昨年の10月にどう路線を走る貨物列車を撮影するべく、先輩と友人たちでレンタカーに乗り、石北本線の沿線を巡った。あの時巡った道路も風景も今は雪で覆われている。あの時はちょうど紅葉の季節で、言葉では語れない美しさがあったが、雪の風景もいい。住んでいる人にとってはたまったものではないだろうが。昨日、羽田まで送ってくださった先輩は、今日沖縄に旅をするとのことで、沖縄の気温を調べるとなんと25℃。同じ日本なのにこうも、気温が違うのかと思う。

上川で乗客が大きく入れ替わる。ここから峠越えに入る。風景も、徐々に山深くなっていく。この辺りは、沿線人口が極端に少なく、多くの駅が信号所へと格下げとなっている。白滝、丸瀬布と止まり、遠軽着17時09分。遠軽では、進行方向が変わる。一昔前までは、この先に名寄本線が、名寄まで続いていた。10月に来たときに廃線跡を見に行った。途中まで線路はまだ残っていたが、少しいくと先にいけないほどに廃線跡は自然に回帰していた。廃線になってわずか10数年。時の流れの速さに、考えさせられるものがあった。

遠軽を出ると、日も暮れ、何も見えなくなった。だが、生田原を出て、しばらくいくとトンネルに入った。これが、常紋トンネルで、強制労働と多くの犠牲者をだし完成に至った。いまでも、付近を掘れば白骨が出てくることもあるそうで、心霊スポットでもある。常紋トンネルを出ると常紋信号所があるのだが、旧国鉄の職員はここへ派遣されるのを一番嫌がったという。
だが、そういう曰つきの場所をあっという間に過ぎ、金華、留辺蕊と止まる。留辺蕊でたくさん高校生が乗り込んできた。どこへ行っても高校生は元気である。

18時25分北見着。長い1日目が終る。明日は釧路へと向かう。移動距離は短いが、流氷に釧路湿原という車窓が色々楽しめそうだ。
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by sojo_skyline | 2005-02-15 23:54 | 旅行記

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最長片道切符で行く日本縦断の旅
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